村岡桃佳父の仕事は?家族構成も気になる!

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スポーツ

日本を代表する女子チェアスキーヤー村岡桃佳選手。2022北京パラリンピックでも4つものメダルを獲得しており、その活躍の裏に父ありと言われています。一体どんなお父様なんでしょうか。
という事で今回は、村岡桃佳父の仕事は?家族構成も気になる!という話題について調べてみましたので是非最後までご覧ください!

 

村岡桃佳の父の職業や家族構成は?

村岡桃佳さんがチェアスキーを本格的に始めたとき、教えてくれるコーチもいなければ指導者もいませんでした。

そこで小さい時からいつも一緒だった父・村岡秀樹さんが指導者代わりになり、親子2人3脚での競技人生が始まりました。

 

 

お父様は、自営業で水道関係の仕事をしていてスキーに関しても趣味程度でしか経験がありませんでした。

村岡親子は、親子で手探りしながら必死にスキルを磨いたというからすごいですね。

 

何度も転んで、泣いて心が折れそうになることもあったそうですが、その度にいつも隣で支えてくれたのは父だったそうです。村岡桃佳さんは、「今の自分があるのは父のおかげ」とまで語っているほど感謝しているようです。

引用:http://news.livedoor.com

良い親子関係で心が温まりますね。

 

 

そんな村岡桃佳さんの家族構成はというと、先ほど紹介した父・村岡秀樹さん、母・村岡操さん、姉、兄、妹の6人家族です。

 

母・村岡操さんは、現在46歳ですが若く見え、とても美人です。画像は後程出てきます!

お母様は、村岡桃佳さんが他の学生と同じように大学生活を送れるように、スキーにしっかり打ち込めるように、深谷の自宅から所沢にある大学まで行き来して、車椅子の確認や寮内で快適に動けるかなどをチェックしてくれたんだそうです。

 

総距離を調べてみるとなんと片道80km、時間にして1時間30分もかかります。毎日の事となると、かなり大変だったと思います。

村岡桃佳さんは、ご両親2人に支えられてここまで来られたんですね!

 

 

村岡桃佳選手の母、兄、妹

引用:https://www.asahi.com

上記画像、左がお兄さんの弥沙紀さん、その隣が妹さんの姫佳さん、その隣がお母様の操さんです。

お兄さんの名前はみさきさんと読むんですかね。

きょうだい皆素敵な名前ですよね。

 

妹さんは2022年3月現在21歳だそうですよ。

 

お父様は渋めなイケメンで、お母様はキレイな方ですから、妹さんも可愛く、お兄さんもイケメンですよね。

 

祐里さんというお姉さんもいますが、画像などは見つかりませんでした。

村岡桃佳選手の9歳年上なので2022年3月現在34歳くらいでしょうか。

きっとお姉さんも美人さんなんでしょうね。

 

 

2018年平昌オリンピック後のご家族インタビュー

 

心から村岡桃佳選手を応援している様子から、家族仲も良いんだろうなと思えますね。

 

 

では続いて、お父様がこれまでどのように村岡桃佳さんを支えてきたのかについても調べてみました!

 

村岡桃佳の父親がすごい!

村岡桃佳さんの指導者代わりを務めていたのが父・村岡秀樹さんであることは前述しました。

父は、突然歩けなくなった村岡桃佳さんを少しでも理解したいと、車いすを使ったスポーツを始めました。車いすテニスや車いすバスケ、そりを使ったパラアイスホッケーに2人で行き、楽しみました。

 

村岡桃佳の父・秀樹さん

引用:https://news.headlines.auone.jp

中でも車いすマラソンは2人同時に表彰台に乗るほど、のめり込み「幸せな時間だった」と振り返ります。

そんな父の行動は、幼い村岡桃佳さんにとっても不安な時期に沢山の楽しみを一緒に行えたことは、心の支えになったでしょうね。

 

 

競技においては、村岡桃佳さんを見守るだけではなく、娘と同じ目線を経験することで、お互いに「どうすれば早く走れるか」を真剣に話し合いながら練習していました。経験がないからこそ一緒に上手くなろうと頑張るって素敵ですね。

 

 

村岡桃佳さんは、今でも、「ゲレンデは寒いし凍傷になるし、なんでスキーやっているんだろうな」と思うことがあるそうです。

 

高校1年生のとき、自分でも手応えを感じるほど滑れるようになっていきトップ選手たちが「え、どうしたの?」と驚くほどに成長しました。

全て、父とのコソ練(こそこそ練習すること)の賜物であると、村岡桃佳さんはいいます。村岡桃佳さんは、大学での寮生活、日本代表チーム合宿や遠征などで自宅で過ごすのは1年のうちわずかになりましたが、

遠征から帰国したときなどには父が空港まで迎えに行きます。車内での会話は競技の専門的内容が増え父は「もう私にはわからない」と苦笑いしていたそうです。

娘の成長ぶりが嬉しくてたまらないようですね。

 

続いて、村岡桃佳さんの経歴を紹介します。

 

村岡桃佳の経歴は?

村岡桃佳さんの経歴についてもご紹介します。足に障害が出たのはいくつ位のときだったんでしょうか?

 

 

村岡桃佳さんは、4歳の夏に家の近くのスーパーに出かけたとき、急に足が重たい感じに襲われました

帰るときには両足が動かなかったため兄の背におぶられて帰ったそうです。横断性脊髄炎による下半身麻痺になりました。原因は不明です。以来、車椅子での生活を送ることとなりました。

 

そんな突然発症して、いきなり下半身麻痺になってしまうとは、驚きです。村岡桃佳さん自身も幼心にものすごい恐怖だったでしょう。

 

村岡桃佳さんは、元々外で遊ぶことが好きでしたが、車椅子だと鬼ごっこをしても友達は気を遣って誰も追いかけてこなかったそうです。

負けず嫌いな松岡桃佳さんは気を遣われるのが本当に嫌でしたが内気な性格だったため素直な気持ちを口に出すことができず、悶々としていたそうです。

それからというもの、人前に出ることが苦手になり、室内で遊んだり、読書するなど部屋に閉じこもるようになったしまってしまいました。

 

そんな気持ちを変えたのがスポーツでした。

 

村岡桃佳さんは、小学3年生の時、父の誘いで一緒にチェアスキーの体験会に足を運んだことがきっかけで始めることになったそうです。

 

本格的に競技として始めたのは中学2年生の時で、当時、このチェアスキー競技を世界大会で戦える女子選手はたったの2人しかいなかったことで、周りから「桃佳も絶対世界獲れるよ!」と後押しされたことで軽い気持ちで始めました。

 

しかし、中学3年生の時、初めて海外試合に挑み、海外選手のレベルの高さに感動を覚え「私もこうなりたい」と思うようになり、そこから猛特訓を積みました。

 

努力が実り、高校2年生(当時17歳)のときにソチオリンピックに出場を果たしましたが、スーパー大回転で旗門を一つ通過し忘れて失格となりつつも、見事5位入賞しました。

 

2017年の国際パラリンピック委員会ワールドカップ韓国大会においてスーパー大回転で銀メダル、白馬村大会では金メダルを獲得し、2018年の平昌パラリンピック日本代表に選出されました。

 

 

続いて、村岡桃佳さんの主な成績を最新情報も含めて調べてみました。

 

村岡桃佳の主な成績

村岡桃佳さんは、平昌パラリンピックに出場する前のインタビューで、

「アルペンスキーは自分との闘いですが、だからこそ滑りきったときの達成感はすごい!だから、どんなに寒くても、怖くても挑戦し続けたいと思える。平昌ではメダル獲得を目指してきます。種目は何にでもチャレンジしていきたいので、その先には全種目制覇もやってみたいという気持ちもありますが、まずは、目の前のことを着実にやっていきたいです。」

と意気込みを語っていました。

 

是非、全種目制覇やり遂げて頂きたいですね。

 

そんな村松桃佳さんの主な成績は、

2015年(当時17歳) :IPC世界選手権カナダ大会 滑降2位/大回転3位
2017年(当時19歳) :IPCワールドカップ白馬村大会 スーパー大回転1位/大回転3
2017年(  〃  ) :IPCワールドカップ韓国大会 滑降3位/スーパー大回転2位
2018年(当時20歳) :IPCワールドカップカナダ大会 スーパー大回転3位
2018年(現在21歳):平昌パラリンピック 大回転1位/滑降2位/スーパー大回転3位/スーパー複合3位

 

村岡桃佳さんは、2018年の冬季平昌パラリンピックで、メダリスト第1号とともに日本史上最年少金メダリストとなりました。

他にも銀メダル1個、銅メダル2個の計4個のメダルを獲得する快挙を達成されました。
おめでとうございます。

 

 

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メダルを量産し、ここまでで素晴らしい快挙を成し遂げている村岡桃佳選手ですが、さらにスゴイ事を成し遂げているんです。

 

村岡桃佳は二刀流選手!?

村岡桃佳選手は2019年からはパラ陸上も始めています。

 

子供の頃に陸上をやっており、もう1度取り組んでみたい、陸上でもパラリンピックを目指してチャレンジしたいと、平昌パラリンピック後に思うようになったそうです。

 

 

アルペンスキー競技でメダルを量産した事もあって、”勝って当たり前”というプレッシャーが辛くなり、スキーから離れたいという気持ちもあったとか。

 

 

2019年の春に夏季パラリンピック出場という目標を掲げ、その2ヵ月後には、パラ陸上日本選手権100m車いすに出場し2位という結果を残しています。

初めて2ヵ月で2位って凄いですよね。

競技用車いすの扱いに長けていたそうですよ。

 

 

以降の村岡桃佳選手の陸上での成績には驚きです。

 

2019年7月:関東パラ陸上選手権100m 優勝(日本記録更新)
2019年7月:ジャパンパラ陸上選手権100m 優勝
2020年1月:キャンベラグランプリ100m 優勝
2020年9月:日本パラ陸上競技選手権100m 優勝
2021年3月:日本パラ陸上競技選手権100m 優勝/400m 優勝

 

本格的に陸上競技を初めてわずか数カ月で優勝、さらには日本記録更新というポテンシャルの凄さに脱帽です。

 

 

そして、念願の夏季パラリンピックの日本代表の座をつかみ取ったのです!!

 

2021年、2020東京パラリンピックでは、陸上競技女子100m車いすに出場し、メダルは逃したものの6位入賞

出場することさえ厳しい状況の中、日本代表に選出され、6位入賞という結果は十分すぎる結果な気がします。

次の夏季パラリンピックへの励みにもなりますよね。

 

 

そして、その約半年後の2022年3月には北京パラリンピックに出場し、滑降、スーパー大回転、大回転で金メダルを獲得、スーパー複合で銀メダルを獲得しました!!

 

スーパー大回転では滑走中に片目のコンタクトレンズは外れ視界不良になるハプニングに見舞われたにも関わらず金メダルですからね。

 

 

夏季、冬季の二刀流に挑戦し、これだけの成績を収めた村岡桃佳選手をスゴイと言わずして誰をスゴイと言えるのかという程の偉業を成し遂げましたよね。

ご家族も誇らしく思っている事でしょう。

 

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では続いて、日本史上最年少で金メダリストとなった村岡桃佳さんの障害について調べてみました。

 

村岡桃佳の障害は?

村岡桃佳さんは、先述の通り4歳のとき急に下半身が動かなくなり、病名は急性横断性脊髄炎ですが原因は分かっていません。

 

症状としては、脊髄のある場所に横方向に炎症が起き、神経細胞繊維が損傷・破壊されて身体の他の部分との交信が中断されてしまうことにより麻痺などになります。

現在、治療法は確立されておらず3ヶ月~6ヶ月以内に炎症が治まれば30%の確率で完治するそうですが、それ以上炎症が治まらないと完治は難しいとされています。

 

村岡桃佳さんの場合は、4歳のときに発症し、その後の回復が難しかったため、重い後遺症が残っています。

 

重い障害を抱えながらも、自分の目標を持ち活躍する姿からは、障害と付き合いながら自分自身で人生を切り開いていくという強い意志を感じますよね。

 

 

続いて、村岡桃佳さんには彼氏がいるのか?ということも気になっている方が多いようなので、彼氏がいるかどうかという噂に関しても調べてみました!

 

村岡桃佳に彼氏はいる?

村岡桃佳さんは、家族の愛情をたくさん受けて育ったことが分かりましたし、弾ける笑顔がとても可愛いですよね!

 

色々調べてみましたが、彼氏の存在についてはネット上には情報が出ていませんでした。

隙がある方なら過去の投稿が拡散されているのですが、村岡桃佳さんは、その辺りをしっかりしているようです。

村岡桃佳さんは、活発で明るく、何より可愛いです。自分で車も運転するアクティブさも持ち合わせています。そんな女性に多くの男性が惹かれるのは間違いありません。

 

しかし、高校時代は練習と遠征で多忙でしたでしょうし、夢であった早稲田大学入学のために頑張っていて彼氏を作る時間やタイミングがないように感じましたね。そして、何より父以上の存在感がないと彼女の心を動かすことは難しそうですね。

 

 

続いて、村岡桃佳さんの通う早稲田大学スキー部で当時監督をされていた倉田秀道さんを紹介します。

 

村岡桃佳の監督倉田秀道さんはどんな人?

村岡桃佳さんの恩師である倉田秀道さんは、当時、早稲田大学スキー部の監督でした。

倉田秀道さんは、村岡桃佳さんの入学が決まった時点で、女子寮のバリアフリー化を提案し、実現してくれました。

改修工事費600万円(大学500万円、匿名の寄付100万円)をかけて村岡桃佳選手の為にバリアフリー化したのです。

それをきっかけに、早稲田大学はキャンパスのバリアフリー化も推進するようになったそうですよ。

 

 

村岡桃佳さんは

「共同生活は初めての経験になるけど、スキー部の皆さんと切磋琢磨していくことで互いに成長していきたい」

と話します。しかし、当時は、障害者アスリートを受け入れるかどうか、学内には反対論もあったのですが、村岡桃佳さんが部員と共にきちんとスキーをしている姿をみて倉田秀道さんと部員45人全員が受入れに賛成したそうです。

 

倉田秀道さんは、あいおい損害保険株式会社から出向し、1999年から早稲田大学スキー部の助監督、2003年から監督に就任しています。現在は、あいおい損害保険株式会社の経営企画部で障害者スポーツ、パラリンピック支援のプロジェクトチームリーダーを務めています。

障害のある選手の社会参加に本格的に取り組んでいらっしゃるようです。

 

 

最後に村岡桃佳さんのプロフィールをご紹介します。

 

村岡桃佳のプロフィール

本名   :村岡 桃佳(むらおか ももか)
愛称   :ももちゃん、ももち
生年月日 :1997年3月3日(25歳)
出身地  :埼玉県深谷市
身長   :150cm
体重    :37kg
所属   :早稲田大学(現役女子大生)
障害種別 :疾病による両下肢機能全廃
クラス  :LW10-2(座位)

村岡桃佳父の仕事は?家族構成も気になる!まとめ

村岡桃佳父の仕事は?家族構成も気になる!という話題について調べてみましたがいかがだったでしょうか?
村岡桃佳さんに対する父の愛情の深さやお互いを尊重する大切さを知ることが出来ました。
今後も競技人生を楽しんで頂きたいですね。
最後までご覧いただき有難うございました!

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