YOSHIKI(ヨシキ)出演のマツコの知らない世界!が放送され、Xの秘話にすっかり感動してしまいました。2018年1月9日放送の『マツコの知らない世界』にYOSHIKI(ヨシキ)さんが出演し、管理人自身はあまりYOSHIKIさんに詳しくないのですが、素人が見ても分かりやすく、とても感動しました。素晴らしい番組内容だったので、まとめてみたいと思います!
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YOSHIKIをYOSHIKIよりも知る女性さかいさんがプレゼンター
YOSHIKI(ヨシキ)さんがマツコさんと初共演をすることになった2018年1月9日放送の『マツコの知らない世界新春2時間スペシャル』で、『マツコの知らないYOSHIKIの世界』という企画が放送されました。
プレゼンターとして登場したのは、”自称!YOSHIKI以上にYOSHIKIを知る女性”として登場したさかいさん(37歳)。
坂井夏子さん
引用:https://oreno-trend.biz
YOSHIKIさんの関わるテレビ・雑誌・イベント・ファンクラブ会報などを全ての情報を網羅しており、YOSHIKIさんを世界中追いかけるため、なんとOLを辞めて独学で勉強しWEB関係の会社を経営しているそうです。
「パソコン一つで世界中で仕事ができる」という思いから起業したそうですが、この気合と執念は本物ですよね!
YOSHIKIさんプロデュースのYOSHIKIMONO(48万円)を着て出演するという徹底ぶりでした^^
YOSHIKIさんプロデュースのカード3種類を所有しており、既に2000万円を使っており、ポイントを貯めた特権であるYOSHIKIと会える権利を2回分所有しています!1000万円で1回会えるとのことですが、今はYOSHIKIさんのスケジュール空き待ち状態とのこと。
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YOSHIKIとさかいさんの関係や結婚は?経営の会社が知りたい!
YOSHIKIのプロフィールと知られざる過去
YOSHIKI(ヨシキ) 本名:林 佳樹
出身地:千葉県館山市
誕生日:11月20日
老舗呉服店の長男として生まれたYOSHIKIさんは、4歳の頃からピアノを習い始めます。
5歳の時に幼稚園でToshI(利三としみつ)さんと出会い、幼馴染になりました。
小学校6年生でToshIさんとバンドを結成。バンドを始めるまでは、クラシックピアノばかりを弾いていたYOSHIKIさんですが、父親の死がきっかけでロックと出合います。
小学校5年生の時に突然父親が自殺してしまい、心の行き場を無くしてしまったYOSHIKIさんは、ロックバンド『KISS』に出会い、ロックに目覚めました。
それを知った母親が、YOSHIKIさんにドラムを購入し、ドラムを始めることになったそうです。
バンドを組んだ当初は、ToshIさんがギターでYOSHIKIさんがボーカルを担当していたそうですが、「なんだかしっくりこないな?」という事になりToshIさんがボーカルを担当することになります。
中学校一年の時に、髪が長かったことを先生に注意され、バリカンで丸坊主にされてしまったことがきっかけでグレて不良となってしまったというYOSHIKIさん。
しかし、母親が「好きなことをやってもいいから勉強だけはきちんとやりなさい」と普段から言っており、その約束を守るため不良と遊んでいる時もしっかり勉強はしていたそうです。
成績は校内400人中10位で、千葉県の模試でも一人だけ数学で100点満点を取り表彰されたこともあったそうです。
YOSHIKIと『X』の結成秘話とは?
YOSHIKIさんは、高校2年生の時にToshiさんと一緒に「X」を結成し、大学受験を辞めて「X」で生きていくと決意。メンバーは、幼馴染のToshIさんと、同級生でバンドを組んだそうですが、ToshIさんとYOSHIKIさん以外のメンバーは進学する道を選び、一人は「東大」に、もう一人は「京大」に進んだそうです。秀才が集まるバンドだったんですね!
高校時代も、リーゼントにして見た目はバリバリの不良だったようですが、その美しい顔立ちのせいでどうしても”可愛らしく”なってしまい、他校から喧嘩を売られても『お前可愛いな』と言われてどう喧嘩したらいいかわからなかったそうです(笑)
高校時代の写真も紹介されていましたが、確かに美しく可愛い青年でした!
今更なんだけど、高校2年生のYOSHIKIさん美しすぎて最高すぎた… pic.twitter.com/H6P0ZvhLbK
— なぎはる@スランプ (@osochoro0822) 2018年1月9日
マツコさんも終始「可愛い~‼」を連発していましたね。
隣で聴いているさかいさんも、次々出てくる裏話とお宝写真の連続に「気絶しそうです」と言っていました。崇拝している人の真横で直接こんな話を聞けるなんて、すごいですよね。
YOSHIKIが日本音楽界にもたらした偉業とは
YOSHIKIさんがメジャーデビューしてから、日本の音楽業界には多大なる影響を与えていますよね。
YOSHIKIの偉業①ビジュアル系を確立
『ビジュアル系』というジャンルを初めて確立したのはXでした。
1989年にメジャーデビューをしてから、Xは熱狂的なファンを生み出し、街にはXの格好を真似た若者が溢れ「X現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
引用:https://renote.jp
『規制されることがすごく嫌だった』というYOSHIKIさん。
ロックは自由なものだと思っていたのに、いざその世界に飛び込むと様々な人から格好やスタイルを指示されるようになり、理解に苦しんだそうです。
「ハードロックをやるならこうしなさい」「アーミールックになって髪を黒く染めなさい」などと言われれば言われるほど、髪を伸ばしたり、ウェディングドレスを着たり、奇抜な事をやったといいます。
音楽的に自信があったからこそ「もう何でもいいや!」という気持ちになり「ロック=硬派」という概念を壊したいという気持ちで音楽を続けていたそうです。
評論家たちに何度も批判されていたそうですが、自分たちを信じてその道を貫いていくうちに、賛同する若者たちが集まってきて「ビジュアル系」が確立されていったそうです。
驚いたのは、あのGLAYをメジャーデビューさせたのもYOSHIKIさんだったという事実ですね。
YOSHIKIの世界にGLAY! pic.twitter.com/y0z9hL7LCF
— YUITASOH_ (@yuitasoh_hs) 2018年1月9日
90年代に爆発的な人気を誇っていたGLAYですが、もともとYOSHIKIさんが彼らをプロデュースしたそうです。管理人はGLAY世代ど真ん中ですが、YOSHIKIさんプロデュースだったとは初めて知りました!
現在のJ-POPに自由なスタイルがあるのは、当時必死にその道を守り、切り開いてくれた「X」のおかげなんですね。
YOSHIKIの偉業②ロックとクラシックの融合
YOSHIKIさんのもう一つの偉業として挙げられていたのが、『ロックとクラシックの融合』でした。
クラシックにも精通しているYOSHIKIさんは、天皇陛下御即位10周年をお祝いする国民祭典で奉祝曲を作曲しピアノを演奏したり、2005年開催の愛知万博(愛・地球博)ではテーマソングを作曲し、オーケストラの指揮まで務めました。
その当時は、バンドメンバーだったHIDEさんの死や、ToshIさんの洗脳騒動があった時期で、X-JAPANは解散していた時期でした。
「もう音楽辞めちゃおうかな」とどん底にいたYOSHIKIさんの元に愛知万博の話があり、ミュージシャンとして再起する大きなきっかけになったといいます。
YOSHIKIさんは「とても運命をを感じた」と話されていました。
YOSHIKIの紅白でのパフォーマンスをマツコが絶賛!
YOSHIKIさんのパフォーマンスを初めて生で見たのは2016年の紅白だったというマツコさん。
「Xが一番、紅白というお祭りに対する敬意をもって、ちゃんと染まって、紅白を盛り上げるためのパフォーマンスをした。どのアーティストよりもXがいっちばん凄かった!」と熱弁。
それ以来、すっかりXのファンになってしまったそうです。
YOSHIKIさんといえば、過激なドラムパフォーマンスですよね。
1分間に800回叩くという高速ドラムですが、当時は”何か目立つことがあったほうがいい”という思いからやっていたそうです。リハーサルでドラムが速すぎてついていけないというメンバーを見て『勝った!』と思ったりしていたとか(笑)
また、ライブ中にヒートアップしてくるとドラムを叩き壊すパフォーマンスも有名ですが、怖し続けて現在は100個目位のドラムセットだそうです。
「炎上しちゃうと思うけど」と前置きしたうえで話されていましたが、ドラムメーカーから「壊してください」とどんどん依頼がくるので、YOSHIKIさんとしては「また今日もこわさなきゃいけないですか」と思いながら頑張って壊しているそうです(笑)実際問題、体力すごく消耗しそうですしね^^;
YOSHIKIに対しファンが心配している事とは
YOSHIKIさんは、これまでに2回首の手術をしています。激しすぎるライブパフォーマンスにより首の頸椎を痛めてしまい、医者からはもうドラムは辞めるように言われているそうです。
しかし、YOSHIKIさんは「それでも僕はドラムを叩くと思う」と3回でも4回でも手術をして続けられるなら、「倒れるまでやろう」という覚悟でいるというYOSHIKIさん。
スケジュールも分刻みで過酷すぎる生活なので、ファンの方は心配しているようですね。
YOSHIKIを襲った悲劇ToshiとHIDEの真相
ToshI洗脳と脱退
1997年4月、X JAPANに”ボーカルToshIの突然の脱退”という衝撃が走りました。
バンドメンバーという以前に、幼馴染であり家族という感覚で付き合っていたので「父親を失った時と同じくらいのインパクトがあった」と語るYOSHIKIさん。
音楽性の違いと洗脳騒動により、ToshIさんが脱退し、1997年9月22日にYOSHIKIさんは記者会見を開きX JAPANの解散を発表。
年末の解散ライブでは、ファンの間で伝説となっているシーンがあるとの事で「X JAPAN THE LAST LIVE完全版」のVTRが紹介されました。
脱退してからは、ToshIさんとは確執が生まれてしまい一言も口を利かなかったというYOSHIKIさん。ライブ中も全く交わることなく進んでいきましたが、ライブ最後の曲『FOREVER LOVE』が始まると、YOSHIKIさんは演奏を中断しゆっくりとToshIさんのもとへ。そして、ToshIさんも歌を中断し二人は泣きながら抱き合いました。言葉は交わさずにそのまま再び離れたのですが、再結成までの10年間言葉を交わすことはついになかったそうです。
「あの時は、ものすごく、怒りの方が強かったので本当はぶん殴ってやろうかと思ってたんです」
「でも、目の前に行くと幼馴染のToshiだったので身体が自然と抱きしめてしまったんですね‥」とYOSHIKIさんは語りました。
X再結成の秘話
解散後、Xであった自分の過去は封印して、完全にカギをかけて鎖をぐるぐる巻きにしてしまったというYOSHIKIさんでしたが、10年の空白期間を経てXは再結成を果たしました。
再結成はToshIさんの方から連絡がありました。まだ洗脳状態にあったToshIさんは、ToshIさんを洗脳する張本人から、”X-JAPANを再結成してさらにお金を稼いで貢ぐように”と指示をされていたということです。
その理由を聞いたYOSHIKIさんは、「まだ洗脳されているんだ」とは思ったものの、『再結成がToshiを洗脳から引き戻すきっかけになるかもしれない』と思い、再結成を決意しました。
今では、洗脳されていた過去をタブーとせず、公に話していることから見ても、YOSHIKIさんもToshIさんも完全に暗黒の時代を乗り越えたという感じがしますよね。一緒にXをやっていくことで、徐々に徐々に洗脳が解け、昔のToshIさんに戻ってきました。
YOSHIKIとToshIを繋いでいたのはHIDEに作った曲だった
解散からわずか数か月後の1998年5月、X JAPANを更なる悲劇が襲いました。
バンドメンバーだったHIDEさんが突然この世を去りました。
引用:http://tarot-channeling.com
YOSHIKIさんは葬儀ではX JAPANのリーダーとして気丈に振舞っていましたが、大親友であるHIDEさんの死を全く受け入れることができず、絶望したYOSHIKIさんは自らの引退まで考えていたそうです。
HIDEさんの訃報はファンのみならず日本中に大きな悲しみとして伝わり、ファンの後追い自殺なども出てしまい、YOSHIKIさんはメンバーと相談して何度も記者会見を開きファンに向け「しっかりしてください」と励ます立場で、自分の気持ちを顧みる余裕もなかったとのこと。
しかし、当時住んでいたロサンゼルスに戻り一人になったときに完全に心が壊れてしまい、どうしていいか分からなくなり、外にも出られないような状態だったそうです。
「これではいけない」と思ったYOSHIKIさんは、HIDEさんの葬儀が終わった約1か月後に亡き大親友HIDEに向けて『Without You』という曲を作ったそうです。
HIDEさんが亡くなってしまったことを受け入れられないでいたYOSHIKIさんは、気持ちを整理するためにこの曲を作ったのですが、作っている最中はピアノの鍵盤が涙でびしょびしょになって指が滑ってピアノが弾けなくなってしまうほど涙が止まらず、HIDEさんの死がより現実となってしまったとのこと。
X Japan – Without You PV with Lyrics (Chinese/Japanese)
X-JAPANは再結成後、この『Without You』を音楽の殿堂『ウェンブリー・アリーナ』で演奏しました。その場所は、HIDEさんが生前「いつかあそこで演奏したい」と語っていたステージだったそうです。
そしてこの曲が、一度は離れてしまったYOSHIKIさんとToshIさんの絆を再び繋ぎました。
YOSHIKI『HIDEとは今も一緒にやっている気持ち』
マツコさんは、「すごくシリアスになってしまうXというバンドの中で、HIDEさんのキャラクターはすごく良かった。バランスを保っていた」とコメント。
YOSHIKIさんは、「自分の中では、まだ一緒にやっている気持ちでいるわけですよね。もちろん、もうこの世には存在しないんだけど、気持ちの中では一緒にやっている」と語り、実際の演奏はその場になかったとしても、それぞれの曲にHIDEの存在が入っているし、2011年に他界してしまった元X-JAPANのベーシストであるTAIJIさんに関しても、一緒にやっている気持ちでいると話しました。
「僕の中では今も7人のX」
と語るYOSHIKIさんの姿からは、バンドメンバーとの強い絆を感じました。
全然詳しい事を知らなかった管理人でしたが、涙が止まりませんでした。ToshIさんの事も決して悪く言わないYOSHIKIさんの人柄にもとても感動しました。
番組の最後には、生演奏でForever Loveを演奏し、プレゼンターのさかいさんは涙していました。世界中のファンの方々は、さかいさんが羨ましくて仕方ないだろうなぁ~、と思いましたが、彼女のこれまでの努力や熱意を聴いていると、応援したくなりました^^
YOSHIKIが良かった、マツコも良かった、さかいさんも良かった。
つーか泣いたわ。— あっくん (@akkunsp) 2018年1月10日
YOSHIKI出てたマツコの知らない世界を見てたんだけど、もうマツコのコメントもさすがで泣くのこらえるの大変だった。紹介者のさかいさんも絶妙だったw
— 清月@ストフェスはポプ子 (@shiz_ki) 2018年1月10日
ほんと昨日のYOSHIKIさんとても穏やかででも結構深い話もしていて、やっぱり聞き手がマツコさんや大ファンのさかいさんだったからでしょうか。愛に溢れた空間でした🌹❤✨
— 餡蜜 (@oAMMMo) 2018年1月10日
Twitterでは、YOSHIKIさんに使った金額が2000万というのは安すぎる!なんて声も出ていました。2000万円で安すぎるとは…衝撃です。一体皆さんはお幾ら使っているんでしょうか…
番組の最後では、しっかりさかいさんがDVDを宣伝していましたが、番組終了後、AMAZONではX-JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』のDVDとBlue-rayが完売!
今後も入手困難な状況が続くかもしれませんね。私もとっても観たくなりましたが、今回の放送による大反響が続くと思いますのでいつ手に入るか分かりませんね^^;
YOSHIKI出演のマツコの知らない世界に感動!1月9日の『YOSHIKIの世界』まとめ
YOSHIKI出演のマツコの知らない世界に感動!1月9日の『YOSHIKIの世界』についてまとめてみましたが、いかがでしたか?私はほとんど無知な状態でこの番組を拝見しましたが、ファン以外でも知っているような「HIDEさんの死」や「ToshIさんの洗脳騒動」の裏にこんなYOSHIKIさんの葛藤があったんだ、という事を知りすごく感動しました。
2017年の年末から年始にかけ様々なバラエティでYOSHIKIさんが話題になっていますが、これらの番組がきっかけでYOSHIKIさんのファンになった方も多いでしょうね^^
「100年先も200年先も聴かれる音楽を作りたい」というYOSHIKIさん。
これからの活躍もますます楽しみになりました。
長くなってしまいましたが、最後までご覧いただき有難うございました!
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