黒柳徹子とワイセンベルクの出会いは何歳の時?

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黒柳徹子の恋人と噂されるワイセンベルクとの出会いはいつで何歳の時?と話題になっています。『トットちゃん!』では、徹子さんの恋が丁寧に描かれていましたね!今回は、黒柳徹子とワイセンベルクの出会いに関して詳しく調べてみました!

黒柳徹子とワイセンベルクの出会いはいつ?

黒柳徹子の半生を描いたドラマ『トットちゃん!』が2017年12月22日最終回を迎えました。何の気なしに観始めたドラマでしたが、黒柳徹子さんの人生がこんなにもドラマチックだったとは!

そして、お母様である黒柳朝さんについても、激動の人生を逞しく生きた姿がとてもカッコよく、”この母にしてこの子あり”と思わされる部分が多く、朝さんの著書も読んでみたいな~!と思いました。

黒柳徹子さんのお父様・お母様の記事についてはコチラ↓クリック

黒柳徹子の父は戦争に行ったの?母の本がすごい!

すっかり黒柳家のファンになってしまいました(笑)お父さんと、お母さんの関係も本当に素敵でしたね。

3か月ほどで終わってしまいましたが、まだまだ観ていたかったです。

満島ひかりさんが黒柳徹子さんを演じた『トットてれび』は、テレビ人としてのバイタリティ溢れる徹子さんをテンポよくドラマにしたものでしたが、『トットちゃん!』は黒柳徹子さんの人生、恋愛、家族を丁寧に描いたドラマでした。

生きる伝説とも言える黒柳徹子さんですが、ご自身の人生と恋愛がドラマとして全国放送されるって、どんな気分なんでしょうか^^

すごいことですよね。

40年交際した恋人と噂されているピアニスト・ワイセンベルクですが、二人の出会いはいつだったんでしょうか?

引用:https://teatime4you.com

ワイセンベルクのピアニストとしての生涯

アレクシス・ワイセンベルク(1929年7月26日ー2012年1月8日)は、ブルガリアで生まれました。

幼少の頃から母にピアノを教わり、作曲も自身で行い、初めてのリサイタルを10歳で開くほどの才能がある少年でした。

第二次世界大戦の影響で、ユダヤ人であったワイセンベルクと母は1941年(当時12歳)に亡命を図りましたが、失敗してしまい、トルコ国境近くの強制収容所に入れられてしまいます。

しかし、亡命の時に共に持ってきたアコーディオンによって命拾いをすることになります。

音楽が大好きなドイツ人看守にアコーディオンを弾いて聞かせることが日課となっていましたが、ある日そのドイツ人看守が二人を連れ出し、駅まで送ってくれました。

「幸運を」と言い残し別れを告げたその看守のおかげで、ワイセンベルクと母はトルコへ亡命することが出来ました。

ワイセンベルクの若き才能を、その看守が守ってくれたのです。

その後ワイセンベルクはエルサレム音楽アカデミーで学び、16歳でオーケストラでの演奏を実現。

そして、推薦状を持って1946年アメリカへと渡り、ジュリアード音楽院へ入学を果たしました。エリートコースへの切符を手にした彼は、すぐに才能を開花させLeventritt CompetitionとPhiladelphia Youth Competitionで受賞、アメリカデビューを飾ります。

そして10年後、27歳になったワイセンベルクはパリに移住し、フランス国籍を取得します。その後10年は表舞台から姿を消し、ピアノを教えながら生計を立て、自身のテクニックを磨く事に集中しました。

黒柳徹子さんの『徹子の部屋』に出演したことも!

10年が経ち、1966年(当時37歳)に復帰し、国際的に更なる活躍をしていきます。1969年(当時40歳)には初来日を果たし、生涯でトータル9回の来日をしています。

1982年、53歳の時には黒柳徹子さんの『徹子の部屋』にも出演をしたそうです。いつか、お宝映像で公開されるかも知れませんね!

その後、パリからスペインへ移住し、息子デビッドと、娘が2人(クリスティーナ、マリア)がいると言われていますが、妻に関する情報は見つかっていません。

2001年頃に最後のコンサートを開いて以降、約10年間パーキンソン病を患い闘病していたと言われています。

2012年1月8日、82歳で亡くなったそうです。

黒柳徹子さんの大切な人、ワイセンベルクの奏でるピアノの音色はどんなものだったのでしょうか?

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黒柳徹子とワイセンベルクの出会いはアメリカ?

黒柳徹子さんは、38歳の時に演技の勉強をするため一年間ニューヨークへ留学をしています。

そもそも”38歳でアメリカ留学”ということ自体がとってもカッコいいですよね。

黒柳徹子さんは1933年生まれで、ワイセンベルクの4歳年下です。

徹子さんが留学をした1971年は、ワイセンベルクはパリに住んでいた頃です。

『トットちゃん!』のドラマの中では、1969年のオリンピックの時に来日していたカール・祐介・ケルナー(城田優)とカレー屋シイナで出会った設定でしたね。

その後、アメリカで再会した二人は恋に落ち、ケルナーは徹子に対し『これから、パリに帰るよ。一緒に来てくれないか』と言います。

当時はパリに住んでいたという設定が、ワイセンベルクとも合致しますね!

引用:https://woman.infoseek.co.jp

黒柳徹子とワイセンベルクは何歳頃出会ったのか?

黒柳徹子さんは、『40年間外国人の彼氏と交際したが、亡くなってしまったため恋が終わった』と公言しています。

ワイセンベルクが亡くなったのは2012年、82歳の時です。

40年交際していたとすると、ワイセンベルクが42歳の時に二人は出会っているはずですよね。

黒柳徹子さんとワイセンベルクの年齢は4歳差。

ワイセンベルクが42歳の時、黒柳徹子さんは38歳。

ということは、

まさに徹子さんのニューヨーク留学時代と合致します!

外国人の彼とは、1年に1度か2度しか会うことが出来なかった、という徹子さん。ドラマでも、FAXで手紙をやり取りする様子や、1泊3日の強行スケジュールで海外でデートする様子が丁寧に描かれていました。

ラストでカーテン越しにケルナーを見送るシーンは、本当に切なかったですね。お互いを尊重し、尊敬しあうとても素敵な恋愛でした。

引用:https://news.yahoo.co.jp

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黒柳徹子のプロフィール

本名:黒柳徹子

生年月日:1933年8月9日(2017年現在84歳)

職業:女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家

愛称は:トットちゃん、チャック

出身地:東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂生まれ

日本のテレビ女優第一号の一人。

黒柳徹子とワイセンベルクの出会いは何歳の時?まとめ

黒柳徹子とワイセンベルクの出会いは何歳の時?という話題について調べてみましたが、いかがでしたか?生きながらにしてご自分の半生をドラマで見届けるという事が実現した黒柳徹子さん。やはり伝説的な方です!

しかも、『徹子の部屋』の放送から続けて毎回ドラマが始まるというのもすごいですよね。ドラマの出演者が『徹子の部屋』に出ている事も多く、裏話などがとても興味深かったです。

これからもいろいろと話題を集めそうな黒柳徹子さんに注目していきたいと思います!

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